
私達のうちにおられる聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれた。アレルヤ。
ローマ5:5
| 聖霊降臨の祝日はその名のとおり、聖霊が使徒達の上に降りた記念日であり、また教会が生まれそして活動を開始した記念日でもある。これは御復活に次ぐ大祝日であるので、前者同様盛大に祝われる。われらは飼い馬桶や十字架を見るたびに「神は御ひとり子をお与えになるほど、この世を愛された、それは彼を信じる人がみな亡びることなく永遠の命を受けるためである。」(ヨハネ3:16)という聖書の言葉を思い出すとすれば、聖霊降臨の大祝日を迎えるたびに「聖父と聖子がこの世をお愛しになる事は、この世に聖霊を与えるほどで、それによって聖霊がこの世の全地を被って、地の面が新たになるためである」と言わなければならないだろう。 (1)聖霊の御力と聖寵はまず使徒達と彼らとともにいた小人数の信者達を新たなる人とした。彼らはイエズスの御命令に従い、主と晩餐を共にした思い出の部屋、エルサレムの高間に集まり、約束された聖霊の御助力(たすけ)を望み、祈り、その真理の霊がやって来、イエズスが彼らに語られたことをみな思い出させる(ヨハネ14:26)のを待ちわびながら、心を合せて「主よ聖霊を遣わし給え。しかして全ての物は造られん、地の面は新たにならん(詩篇103)と祈っていたのである。ところが主の御昇天後10日目の事であった、朝の9時頃突然不思議な風のような音が聞えたと思うと、天上の偉大な力がその家に満ちあふれ、同時に火のような舌が彼らに現れ、分かれて各々の上に止まった。すると一同はたちまちのうちに聖霊に満たされ、いわれるままに様々な言葉で語り始めた。 当時エルサレムには諸国から来たユダヤ人がたくさん住んでいたが、この不思議な音を聞いて何事かとその場に駆けつけて集まり、使徒達が自由に外国語を語るのを聞くと、驚き感嘆する者もいれば、酒にでも酔ったのであろうと一笑に付す者もいた。 この時使徒の頭である聖ペトロは立ち上り、聖霊の御導きに従い、いきなり火を吐くような説教をしたところ、人々は深く感動し、すぐに洗礼を受け、信者に加わった者の数は3000人であったという。 (2)けれども聖霊降臨の大祝日に我らが記念するのはただこのような一時的な出来事だけではない。教会内に常におられる聖霊の絶えざる御働きをもあわせて祝うのである。聖アウグスチノは聖霊を「教会の霊」と呼んだ。キリストはすべての人を永遠の幸福に導くために教会を創立し、聖寵の源である七つの秘蹟を定め、これを施すために使徒達を選び、聖ペトロを彼等の頭とし、また最初の聖職者を立て、これに布教の全権を与えて真の信仰をすべての民に宣べ伝えよとお命じになった。このようにして教会の重要な骨組みは出来上がったわけであるが、それだけではまだ魂の入らない体のようなもので、生命もなければ活動もなかった。そこへ聖霊の降臨があって、キリストの神秘体である教会に生命が吹き込まれ、その聖なる原動力によって始めて活動が起こり、聖ペトロの説教となって見事に3000の霊魂を改心させたのであった。 それ以来、教会は布教事業を通じ、絶えずあらゆる国民、あらゆる種族に力を及ぼして来られたのみならず、今後も世の終りに至るまで真理の霊として教会を助け、その教職者を誤謬よりまもり、彼らの説教を祝福して人々の心に実りの多い果実を結ぶようにして下さるのである。なお司祭職を通じては秘蹟により聖寵をわかち、露魂を照らし、清め、強め、慰められる。その他罪を赦す力も聖霊より来(ヨハネ20:22)、ミサ聖祭もその御働きによる。すなわち聖霊はかつて聖マリアの御胎内にキリストの人性を造られたように、今もミサの中でパンとぶどう酒をキリストの御体御血に変えられるのである。 最後に聖霊は司牧職を保護指導し、いつも信者にキリスト教的生活を営ませるよように励ます。そして教会に超自然的力を与え、地獄の門も永久これに打ち勝つことがないようにするのである。 (3)聖霊降臨の大祝日はさらに我らの霊魂における聖霊の御働きをも記念する。まず洗礼の時、彼は我らに超自然の生命を与え天の御父の子としてくださった。我らが聖霊の御住まい、聖い神殿となったのもその時点からである。次いで堅信の秘跡を受けた時聖霊は我らを強めてどのような場合でも恐れる事なく信仰を現し、救霊の敵と勇ましく戦う力を恵まれた。その上我らの智恵を照らし、永遠の真理、主の御旨を明らかに悟らせ、悪を避け善につくように勧めるのもやはり彼である。実に聖霊なしには我らは祈りといい、善行といい、何一つ行うことができないのである。 このように聖霊の驚くべき御業の数々を黙想してみると、その記念の大祝日の実に喜ぶべきことが分かるであろう。またそれと共に聖霊に対して感謝の気持ちが起るのを感じざるを得ないであろう。それゆえ我らは本日をふさわしく祝うと同時に、日頃の恩を考え今後は大罪を避け、聖霊の御住居である自身を汚さないようにすることはもちろん、小罪をも嫌って少しも主の聖心を痛めることがないように努めようではないか。 |
【ミサ聖祭】
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集会祈願
すべての人の父である神よ、きょう祝う聖霊降臨の神秘によって、あなたは諸国の民を一つの聖なる教会に集めてくださいます。聖霊を世界にあまねく注いてください。教会の誕生にあたっておこなわれた宣教の働きが、いまも、信じる民を通して続けられ、ゆたかな実りをもたらしますように。聖霊のまじわりのなかであなたとともに世々に生き支配しておられるおん子私たちの主イエズス・キリストによって。 奉納祈願 聖なる父よ、おん子が約束されたとおり、聖霊を注ぎ、信じる民を照らしてください。わたしたちがキリストの奉献にあずかり、その神秘を深くあじわうことができますように。わたしたちの主イエズス・キリストによって。アーメン。 Praesta, quaesumus, Domine, ut, secundum promissionem Filii tui, Spiritus Sanctus huius nobis sacrificii copiosius revelet arcanum, et omnem propitius reseret veritatem. Per Christum Dominum nostrum. Amen. 叙 唱 聖なる父、全能永遠の神、偉大な救いのわざをたたえ感謝をささげます。おんひとり子とともに神の国をつぐ人々の上に、あなたはきょう聖霊をそそぎ、すきこしの神秘を完成してくださいました。聖霊は教会の誕生のときに、ことばの違いを越えて諸国の民にまことの神を知らせ、人々とをひとつの信仰のうちにお集めになりました。全世界は復活のよろこぴに満ち、すべての天使はあなたの栄光をたたえ、おわりなく歌います。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。主の栄光は、天地にみつ。天のいと高きところにホザンナ。ほむぺきかな主の名によりて来たるもの。天のいと高きところにホザンナ。 拝領唱 使徒行録2:4.11 すべての人は、聖霊に満たされ、神の偉大なわざを語り始めた。アレルヤ。 拝領祈願 慈しみ深い父よ、あなたの民を恵みのうちに守ってください。いのちのかてに養われたわたしたちが、聖霊のたまものに支えられて、救いの道を力強くあゆむことができますように。わたしたちの主イエズス・キリストによって。アーメン。 Deus, qui Ecclesiae tuae caelestia dona largiris, custodi gratiam quam dedisti, ut Spiritus Sancti vigeat semper munus infusum, et ad aeternae redemptionis augmentum spiritalis esca proficiat. Per Christum Dominum nostrum. Amen. 聖書朗読
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【続 唱】
聖霊来たり給え
● Veni, Sanctae Spiritus, et emitte caelitus lucis tuae radium.
貧しき者の父、恵みの力与え主、心の光にます御者来たり給え。
いと優れたる慰め主、霊魂の甘美なる友、心のなごやかなる楽しみ。
つかれたる時の憩い、暑き時の涼しさ、憂う時の慰め。
いたって幸いなる光よ、主を信ずる者の心に来たり満ち給え。
主の御助けあるにあらざれば人には罪ならざる所なからん。
こい願わくば汚れたるを清め、乾けるをうるおし、傷つけられたるをいやし給え。
固きを柔らげ、冷えたるを暖め、曲れるを直くし給え。
主を頼む信者に神聖なる七つの賜物を施し給え。
善徳の功を積み、救霊の彼岸にいたり、永遠に喜ぶを得しめ給え。ア一メン。アレルヤ。
Veni, pater pauperum : veni, dator munerum : veni, Iumen cordium.
Consolator optime; dulcis hospes animae. dulce refrigerium.
In labore requies in ,estu temperies, in fletu solatium.
O Iux beatissima, reple cordis intima tuorum fidelium.
Sine tuo numine, nihil est in homine, nihil est innoxium.
Lava quod est sordidum, riga quod est aridum, sana quod est saucium.
Flecte quod est rigidum, fove quod est frigidum, rege quod est devium.
Da, tuis fidelibus, in te confidentibus, sacrum septenarium.
Da virtutis meritum. da salutis exitum, da perenne gaudium. Amen. Alleluia.
【聖霊賛歌】
創造主なる聖霊来たり給え
御身、慰め主、いと高き天主の賜物、生ける泉、聖なる炎、愛に満てる、霊的注油よ。
御身こそ賜物として七つの形をもち給う、御父のみ腕の働き、聖父の御約束のごとく、人を雄弁ならしめ給う。
御光もて五官を照らし、愛を心に注ぎ給え。弱きわれを、御力もて常に強め給え。敵を遠く防ぎ、われらに平安を与え、われらを導きて、すぺての悪より逃れしめ給え。
御身によりて御父を知り、御子を知るを得しめ給え、御父と御子より出ずる聖霊を、常に信ずるを得しめ給え。
御父にみ栄えあれ、死者のうちよりよみがえり給いし御子と、慰め主にまします聖霊に、世々に栄えあらんことを。アーメン。
唱:主よ、聖霊を遣わし給え、しかしてよろずのものは造られん。
答:地の面は新にならん。
祈願:
聖霊の光りをもって信者の心を照らし給いし天主、同じく聖霊をもってわれらに正しきことを悟らしめ、その御慰めによりて常に喜ぶを得しめ給え。われらの主キリストによりて願い奉る。
Qui diceris Paraclitus, Altissimi donum Dei, Fons vivus, ignis, caritas Et spiritalis unctio.
Tu septiformis munere, Digitus Paternae dexterae, Tu rite promissum Patris Sermone ditans guttura.
Accende lumen sensibus,' Infunde amorem cordibus, Infirma nostri corporis virtute firmas perpeti.
Hostem repellas longius, Pacemque dones protinus: Ductore sic te praevio Vitemus omne noxium.
Per te sciamus da Patrem, noscamus atque filium, teque utriusque Spiritum credamus omni tempore.
Deo Patri sit gloria et Filio qui a mortuis Surrexit, ac Paraclito, in saeculorum saecula. Amen.
V/. Emitte Spiritum tuum et creabuntur;
R/. Et renovabis faciem terrae.
Oremus:
Deus, qui corda fidelium Sancti Spiritus illustratione docuisti. Da nobis in eodem Spiritu recta sapere, et de eius semper consolatione gaudere. Per Christum Dominum nostrum. Amen.
【祈 り】
聖霊に向かう祈り
※この祈りは公教会祈祷文では「始業の祈り」として紹介されている。
● Veni, Sancte Spiritus, reple tuorum corda fidelium, et tui amoris in eis ignem accende.
主よ、聖霊を遣わし給え、しかしてよろずの物は造られん。▲地の面は新たにならん。
祈願
聖霊の光りをもって信者の心を照らし給いし天主、同じく聖霊をもってわれらに正しきことを悟らしめ、その御慰めによりて常に喜ぶを得しめ給え。われらの主キリストによりて願い奉る。▲アーメン。
原罪なくして宿り給いし聖マリア、▲御身に依り頼み奉るわれらのために祈り給え。
V/. Emitte Spiritum tuum et creabuntur;
R/. Et renovabis faciem terrae.
Oremus:
Deus, qui corda fidelium Sancti Spiritus illustratione docuisti. Da nobis in eodem Spiritu recta sapere, et de eius semper consolatione gaudere. Per Christum Dominum nostrum. Amen.
聖霊降臨の祈
▲われらは聖霊の天主にましますを信じ、礼拝をささげ、今日までわれらに賜わりし霊肉の賜物をこころより感謝し奉る。
主イエズスはこの世を去り給う時、御弟子らに聖霊を遣わさんと約し給いしにより、かれらは聖母マリアと共に、心を合わせて祈りいたりしが、聖霊は火の如き舌の形にて現われ、かれらの心に降りてそを充たし給いたれば、かれらは生まれ変りし者の如くなり、諸国の言葉を語り、布教に専心せり。主よ、聖霊を遣わし給え。しかしてよろずのものは造られん。
▲地の面は新たにならん。主なる聖霊、われらの上にも降りてわれらの心を充たし、新たになして、天主に対し、人に対し、すべてにおいて正しき道を歩ましめ給え。アーメン。
聖霊の御降臨を望む祈
いと優れたる慰め主、霊魂の甘美なる友、心のなごやかなる楽しみ。
▲つかれたる時の憩い、暑き時の涼しさ、憂うる時の慰め。
いたって幸いなる光よ、主を信ずる者の心に来り充ち給え。
▲主の御助けあるにあらざれば人には罪ならざる所なからん。
こいねがわくは汚れたるを清め、乾けるをうるおし、傷つけられたるをいやし給え。
▲固きを柔らげ、、冷えたるを暖め、曲れるを直くし給え。
主を頼む信者に神聖なる七つの賜物を施し給え。▲善徳の勲を積み、救霊の彼岸にいたり、永遠に喜ぶを得しめ給え。アーメン。
●罪の贖いの御恵みを与えた御方はどなたですか?
聖霊について
罪の贖いの御恵みを与えた御方は聖霊です。
その恵みを与えたもうのは、私達が正しい者となるためです。それでこれを聖霊の御業といいます。
●聖霊とはどんなお方ですか?
聖霊は、神の第三位であって、御父と御子と共にまことの神であられる御方です。
(1)次の事は聖書に明記されています。
(a)聖書は明らかに聖霊を神といっています。「アナニアよ、なぜサタンに心をいざなわれて聖霊を欺いたのか。…汝が欺いたのは人ではく、神にてまします」(使徒行録5:3-4)聖書はその他に聖霊の神性についてこう言っています。「霊は神の深いところに至るまで万事を見通し給う」(コリント前2:10)
(b)聖書は、聖霊が、御父と御子とは違ったペルソナにてましますことを記しています。「われは父にこい、父は他の弁護者をなんじらにたまい、永遠になんじらと共に止まらせたもう。これすなわち真理の霊にてまします」(ヨハネ14:16-17)。「聖霊が鳩のような形をとってその上にくだった。そして、なんじはわが愛子である。私はなんじによってよろこぶというみ声が天から聞こえた」(ルカ3:22)。
(2)教会は初めからそう教えたのです。すでに第二の公会議(コンスタンチノープルの第一公会議381年)において、聖霊の神性を否定したマケドニアの説は異端として破門されたのです。
●聖霊は何からいでたもうのですか?
聖霊は御父と御子から、永遠のはじめよりいでたもうのです。
「父のもとからわれがつかわそうとする弁護者、すなわち父からでる真理の霊が来るならば、われについて証明をするであろう」(ヨハネ15-26)。「すべて父が有したもうものは、ことごとくわがものである。かれはわがものを受け取ってなんじらに示したもうであろうと言ったのはこれがためである」(ヨハネ16:15)。「われは主にして生命の主、命の主なる聖霊を信ず、すなわち御父と御子よりいで、御父と御子と共に拝み、とおとまれたまいて、予言者をもって語りたまえり(信経)。
●イエズス・キリストは聖霊をつかわそうと仰せられたのですが、聖霊はどこにもおいでになるではありませんか?
聖霊は、神としてはどこにもおいでになるのですが、恩恵の与え主としては、カトリック教会と、善人の霊魂のうちに、特別な方法をもっておいでになるのです。
●いつ聖霊は教会につかわされましたか?
聖霊は、ペンテコステの日に、教会につかわされ、舌のような火の形をもって、使徒たちの頭の上にとどまりたもうたのです。
舌のような形の火には、二つの意味があります。
(1)聖霊は火のように霊魂を照らし、清め、暖め、(2)使徒たちに、キリストのみ教えを舌をもってよく述べ伝えることができるようにあまくだりたもうたことを意味します。
●聖霊は教会にどんな恩恵をおくだしになりますか?
聖霊は、世の終わりまで教会を離れないで、教会を教え、導き、清め、つかさどりたもうのです。
●聖霊は私たちの霊魂にどんな恩恵をおくだしになりますか?
聖霊は私たちの霊魂を照らし、清め、強め、慰めたもうのです。それで聖霊を清めたもう御者、慰め主ともいいます。
●聖霊の七つのたまものとはなんですか?
聖霊の七つのたまものとは、上知(sapientia)、聰明(intellectus)、賢慮(consilium)、剛毅(fortitudo)、知識(scientia)、孝愛(pietas)、敬畏(timor Domini)です。
これらのたまものは、霊魂が聖霊の教えたもうことを聞き、これに従うようにするのです。
●聖霊はいつまで霊魂のうちにとどまりたもうのですか?
聖霊は、霊魂が大罪によって汚されないうちは、霊魂のうちにとどまりたもうのです。
「あなたたちは、その身が神の聖殿であること、神の霊が、あなたたちの中に住みたもうことを知らないのか。人がもし神殿をこわすならば、神はこれを滅ぼしたもう。けだし神殿は聖である。あなたたちはすなわち、それである」(コリント前書3:16-17)。